一昨日の記事
[晴雨]【日記】【福祉】豆まきとリスク管理 | 晴耕雨ログ ごく楽文化農園!
こんなコメントいただきました
「食べたいって想い自体が悪いこと、と考えられてしまうのは、怖いことですね。
けど、最中にいる人にとっては、誤飲して呼吸が出来なくなったらどうしようっと、気が気でないですよね。。。
食べたい想いや食べる幸せと、食べることによるリスクや周囲へ与えるヒヤリのインパクトやストレス。
最近、似たような状況がうちにもありまして、こういった本人の意思と周りの心配など、相対するこれらに折り合いつけるのに、されている工夫とかありますか?」
本人の希望=食べたい
家族の想い=長生きして欲しい
二つが相反している場合
お互いにストレスが出ますよね〜〜
リスクがあれば安易に思い通りにしてあげれないし
介護者の思いだけ通せば良いかと言うとそうでもない
この場合に考えられるリスクは
誤嚥(ごえん:食べ物や異物を気管内に飲み込んでしまうこと。また異物を消化管内に飲み込んでしまうこと。)
による窒息や肺炎。特に高齢者の場合は肺炎(誤嚥性肺炎)になると、色々な理由から寝たきりになることもあります。
誤嚥性肺炎
一般社団法人日本呼吸器学会 – 誤嚥性肺炎
家族としては怖いですよね。
窒息に関しては
窒息死って辛そうに感じますよね?僕もそう思っていましたが、ある先生が放った言葉で考え方が変わりました。
「窒息死の方が長く病むより楽だよ?」
え〜〜マジっすか?でもそうかも知れない・・・
窒息の症状と経過
窒息に陥った場合速やかに応急措置を加えなければ患者は仮死状態、死へと向かう。死亡までの主な症状の推移として 呼吸困難→チアノーゼ→呼吸停止の経過をとる。
第I期、数秒~数十秒
血中の酸素、二酸化炭素濃度に異常が生じ、症状が現れるまでの期間、息切れ、軽い呼吸困難を伴う、症状はまだ弱い状態。
第II期、30秒~
急性呼吸困難、チアノーゼ、血中の二酸化炭素濃度は急激に上昇する。血圧、脈拍の上昇、さらに進行すると痙攣、脱糞を伴う。激しくのた打ち回る。
第III期、60~90秒
意識の消失、昏睡状態、筋肉の弛緩、仮死状態に陥り、これより進行すると回復は望めない。
第IV期、1分
呼吸中枢の機能停止、末期状態、喘ぐように10回ほど呼吸を試みた後に呼吸が止まる。これをチェーンストーク(終末呼吸)と呼ぶ。
第V期、数分~15分
心肺停止、死亡するまではさらに30分ほど要する。
窒息は数分
ちょっと乱暴すぎましたね。
色々な考え方があると前提として
ちょっと見、相反しているように見えますが、見方を少し変えたり、新たな考え方が取り入れられれば、ベクトルの向きが同じになる可能性もあります。
ウチの場合は
というか僕の考えは
1.なるべく本人の意思に沿う形を模索する。
2.相反している考えが同じベクトルに向かえるように、認識を変えれないか考えます。歩み寄れる所を探す
3.ただ線引きはしておく。
ウチの父は食べたいって思いはかなり強いです。ただそれで「死」を迎えることは望んでいない。
4.お互いにリスクは理解しておく。(介護を受ける側がそれを出来ない時はそれも含み)
の4つです。
そしてその4つを介護に関わっている人が共有することが一番大事だと思います。
施設の場合は難しいですよね。一人の介護者がそう思っていても上司やその上の役の人の意見が大きくなっちゃいますからね。
昨日の立花さんの記事
愛する家族が 余命48時間 と宣告された時に僕が決めたこと、したこと | No Second Life
死生観について再度考えさせられました。
医療は「死=悪」って無意識に定義しているんじゃないかと感じます。
立花さんのように「達成であり祝福されること」と捉えられるような社会にして行きたいなー
僕は父や母を自宅で看取りたいと密かに思っています。
最後に感謝を伝えたいと強く思います。てか元気なうちにキチンと話し出来れば言うこと無しなんですけどね。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
今日はここまで!ではでは!!