親の価値観と自分の価値観

親の価値観
昨日は久しぶりに母親と口論しました。原因は父の介護のことです。うちの母は、息子の僕から見ていても、すごく献身的に父を見てくれています。その姿は我が母ながら尊敬するほどです。目の前のことに、真摯で誠実に、取り組んでいます。それが父への愛なのかはわかりません。しかしちょっと真似できないと思わされるものなんです。その父の介護のことで、母の価値観と僕の価値観が違うことで、口論になったのです。
父は完全に依存しています。誰かの手を借りなければ、生きていけません。それを母は、一手に引き受け、自分の責任で全部やろうとしているんですね。
僕は、それを分かろうとしていませんでした。なぜそこまでできるのか、やるのか、疑問に感じてはいましたが、それを理解しようとしていませんでした。
僕たちは親の価値観に、大きな影響を受けています。意識できているか、いないかは別にしてそれは非常に大きなものです。自分の価値観がどれだけ、親の影響を受けているのか、親の価値観と自分の価値観が違っていもいいと理解できることが大切なんですね。
母は、母の価値観で、父の介護に向き合っているのです。だから、僕はその価値観を受け入れ、自分ができることをすることにしました。それは理想の自分ならそうすると感じたからです。今この文章を書きながらそれを決めました。
価値観に縛られるのではなく、それを能動的に受け入れるかどうかが問題なんです。過去、それがわかっていなかっておらず、心では反発しているのに、行動は親の望み通りにする。そんなことを続けていました。
それに気づき、自分の価値観を大切にすることを学びました。親と自分は違うとわかったのです。親の価値観と、自分の価値観は違うもの、自分の価値観は、親の価値観で作られていないか、よく考えることが必要です。
それには、文字化することが有効です。頭の中だけで考えるのではなく、文字化して顕在化することで、自分の思考や価値観を再認識することができるんですね。
親の価値観は親のもの、自分とは違うことを理解し、その上でどうするのか、どう行動していくのかを決めることが大切なのです。僕は、自分の価値観と違うことを理解しながら、母の行動を助けていくことにしました。そうすることを自分で選んで決めました。人生の正解はいつも自分の中にあります。自分で正解を作っていく、この覚悟が肝心なのです。
偉そうなことをかいていますが、いつもいつもそれができているわけではありません。だけど、そうなる、そうあると決め、理想の自分がとる行動を選んでいく、人生にしていきます。
最後まで読んでいただきありがとうございます。