嘘をつかれたのか、つかせたのか

今日は主体性について気づいたことを書いていきます。
よろしくお願いします。

2年前に、友人に大きな嘘をつかれました。約一年ほど嘘をつき続けられ、その間、疑惑を感じながらも信じ続けて、結局嘘だということがわかり、その嘘の尻拭いを1年かけてやりました。
嘘が発覚した時、僕はすごく落ち込みました。嘘を信じてやった行動全部が、無駄に感じ、信じていた自分が哀れで、嘘だと見抜けなかった自分を情けなく感じていました。
その一件から、人を100%信じないようにしています。どこかで、もし騙されても大丈夫なように自分自身の心を防御しているのです。
騙された自分は被害者で、悪いのは相手。それは変えられない事実だと感じていました。

文字化合宿に参加してから、主体的、能動的に生きると決め、毎日行動し、それを振り返っています。主体的に生きるとは、全てを自分の責任として生きるということと定義しています。「雨が降っても自分の責任」と考えられるように、行動しています。これは、文字化の師匠、横川裕之さんから学んだことです。雨が降ることは、自分ではコントロールできません。そのコントロールできないことにも、主体性を持ち取り組む。主体的であるとはそういうことだと、学びました。
つまり嘘をつかれ他のは、自分の責任だし、嘘をつく人を引き寄せたのは自分なのです。そのことに今思い至りました。自分で思い至ったのですが、かなりショックでした。嘘はついたのは相手で、自分は悪くない。悪いのは全て相手だと思っていたのですから当然です。
しかし、主体性を持ちその件を見直してみると、嘘をつく人を招き寄せたのは自分で、自分が嘘をつかせてしまったと、見方が変わりました。
そうすると、相手に感じていた怒りや、騙された自分の悲しみがなくなっていきます。今思えば、自分自身に隙があったし、嘘かもしれないと違和感を感じた時に、それに対して正面からぶつかることもできました。それをしなかった自分の責任です。そう考えると相手にも悪いことをしたと思います。自分が主体的であれば、相手は嘘をつかずに済んだのですから。

でも、このことで僕が自分を責めることはありません。反省をし、今からは主体的であり続けますが、ここで自分を責めてもしようがありません。過去に起こったことは変えられません、でも過去の解釈はいつでも変えることができます。
嘘をついたことが相手の責任だとすると、自分ではどうしようもありません。しかし、自分の責任だとすると、自分の行動は変えていけます。相手の課題には踏み込まず、自分が主体的であることに集中していきます。
最後まで読んでいただきありがとうございます。