父の頭を洗っていて思うこと

父が脳梗塞で倒れてから6年が経つ。

倒れてからしばらくは入院が続き、約一年半後にやっと家に帰れた。

倒れる前は風邪も引いたことがなく、体調を崩すことがほとんどなかった人だった。

体が丈夫で力も強く、倒れる直前でも腕相撲で勝てる気がしなかった。

69歳の春に現役を退き、農業に専念しようとしていた矢先に倒れてしまった。

僕にとっての父は力と知恵の象徴。行動力、実現力、責任感があり頭が切れ、知識も豊富。尊敬と畏怖の対象だった。

とても自分なんかが敵う相手ではないと思っていた。

いわゆるビリーフ(思い込みや正しいと信じている考え方)というやつだ。

その思い込みは、以前受けた個人セッションの中でも出てきたことがあり、僕は自分にないと思っているその力を手に入れることができる、元々自分の中にあるとビリーフを書き直すセッションだった。

ただビリーフというのは一度のセッションで全てがクリアになるわけではない。新たな考え方がインストールされたわけだが古い考え方の癖ももちろん残っている。

僕の中にも未だに父への畏怖や、自分には父と同じ力はないという思い込みが少し残っている。

そんな風に思っている父だが、今では病気で人の力を借りなければ生活できない。

昨年の11月帯状疱疹を患い、それまでは起きているのがしんどいからと週に2度ほどしか入浴しなかったのだが、その後は毎日になった。入浴で体を温めると痛みが少し和らぐらしい。それからほぼ毎夕方入浴介助をしている。

自分で言うのもなんだが、昔とった杵柄で父ひとりの入浴介助などお手の物だ。ただ夕方に必ず家にいないとならないのが難点だが。

ある日入浴介助していてふと思った。

多分父が倒れなければ、こうやって頭を洗うことはなかった

自分の中に父の介護ができて嬉しいと思う気持ちがあるのに気づいた。 

尊敬や畏怖の対象だった父は今は一人では入浴することができない。

病気になって良かった、父が弱くなって良かったと思っているのか?よくわからない

どんな感情なんだろう?

そして父はどう思っているのだろう?

父への手紙を書こう

先日メンターの一人の横田さんとご一緒した時に自己開示や親への感謝という話になった。

僕も感謝の気持ちはもちろんある。とても大きいものだ。でもそれを改まって口に出したことはない。というか、いろんなものが邪魔して出せないと言ってもいい。

この世に送り出してくれて、不自由なく育ててくれて、大きな道しるべも作ってくれた、、、

先日参加した湯河原のワークショップでは親子関係で悩んだり、幼い時の感情のもつれを持ったまま大人になり心にしこりを残してしまう、「未完了の感情」などのことを見たり自分でも体験し体感した。

その未完了の感情をワークで感じきり、これからどうするのかにフォーカスしていく。

感謝したいのに相手がいない状況にならない前に、きちんと伝えようと思う。

照れ臭いと話したところ、手紙がいいですよと横田さんは言う。

「いつやりましょか?」横田さんを知る人ならよく聞くセリフだと思う。

結局暮れか正月に書くことにした。

今考えても書ける気がしないのだが、頑張って描いてみようと思う。

皆さんはご両親に感謝の手紙を書いたことがあるだろうか?

▼写真は昨年のクリスマス、両親とうちの家族と弟家族で撮った集合写真