なぜ受けたのか?
奥さんが過去2度同じワークショップを受けてとても良かった。
奥さんは今までは引っ込み思案であまり人と積極的に関わろうとしなかったが、一緒にワークショップを受けた人と再会した時の嬉しそうで親密そうな感じに驚いた。人生をより良くしたいと考え受講し、ゆっくりとだがしっかりと人生を楽しみ始めている。
僕自身はセミナーやコンサルやコーチングを受け、もう十分だと思っていたけれどもっともっと家族関係、人間関係を良くしたいと考えていた。
そして人生の癖のような、何かがうまくいきそうになったり、周り出そうとすると力が出なくなること、
今までの人生で苦労や努力が足りていないと思っていて根本のところで自信がないことを解決したいと考えていた。
ワークショップを受けた後どうなっていたいのか?
無敵な自分になっていたい。無敵とは強い自分になることではなく、誰も敵ではなく味方だと思えること。
今のだらしないところがある自分でもオーケーと心の底から思いたい。丸ごとの自分を受容できるようになること。
どうだったか?
今回のワークショップのテーマ
「可能性の開花 ~自己の本質的な才能といのちの輝き~」
この記事を書き出してから年に何回かある岡部明美さん(以下あけみちゃん)のワークショップにテーマがあることを知った。
タイミングというか、シンクロニシティーというか、このワークショップには引き寄せられた感がすごくする。
実は3月に秩父で行われたワークショップに参加するつもりだったのだが、奥さんが再受講したいと希望し、農繁期が終わった今回の湯河原に参加することになった経緯がある。そして今回のワークショップに参加できて良かった。まさに今自分に必要なことだったと思う。
奥さんのユキコさんは過去2回あけみちゃんのワークショップに参加している。
ユキコ40歳の大冒険。
今世の一大スペクタクルと言っても過言ではない私にとっての大冒険。それは、新潟県長岡市で開催された2泊3日のワークショップへの参加だ。…
ユキコさんが最初にワークショップに参加した時は、僕自身はスピリチュアル的なワークショップが自分に必要だとは思えなかった。しかし普段の生活の中では中々自分自身に本気で向き合うことはできない。
感性に訴えるような他の人が受けているワークを外から見たり、近くで見たりしてその人の個人的な問題を自分ごとに置き換えて、自分に向き合う。普段閉ざされがちな感性が解放されていく感じがする。
2日目に自分と向き合うワークを体験した。
自分の中にあるかっこよく素敵と思える自分が好きな自分と、面倒くさがりでダラダラしている自分が嫌いな自分。
それぞれの内面の言葉を自分の口から出す。
最初は自分がそれぞれの役になり対話するように、途中セラピストの力を借りながらワークは進む。
以下はうろ覚えだけれど、こんな感じのやりとりだった。
自分が好きな自分をナーキと、嫌いな自分をダラオと名付けた。
ナーキ(以下ナ):ダラダラしていないで動けばいいじゃん!怖いのは1歩目だけだよ
ダラオ(以下ダ):人の目ばかり気にして、かっこつけてどうせメッキはすぐ剥がれるよ
ナ:前に進もう
ダ:前ってどこだよ!
ナ:わからない、、、
ダ:お前が人によく思われるためだったら嫌だね!
ダ:全然響いてこない
ダ:お前がそうなりたいと思うのは誰だ?
その答えは両親だった、進むは両親の持つ力だった。
父の行動力、決断力、知識の豊富さ、母の優しさや遣り抜く力だった。
そして振り絞るように自分の口から出た言葉は
「そこに行きたい」「そうなりたい」だった。
この時は既に大号泣、嗚咽している感じで、こんなに泣いたのは後輩が自ら命を絶ってしまった時以来だった。こんなに泣ける自分に驚いた。
でもそのあと不思議と涙は止まり、自分が欲しいもの、なりたい姿がしっかりと意識できた。
あの場面を思い出すと自分の本当にしたいこと、可能性や本気の気持ちが再確認できる。
ワークはこの後も続き、好きだと思っていた自分と嫌いな自分、「両方ともに自分」という感覚を受け入れる準備ができた。
自分にはないと思い込んでいた、元々自分の中にある両親から引き継いだ力を確認し、それを発揮できると確信した。そしてその力は今のままの自分でも、他の人の輝きを引き出せると思う。
これからどうしたいか?
一度ワークショップに出たからといって人生も人格も激変することはない。
僕は変わり続けていく、そして仲間とともに自分のやりたいことを実現していくのだと思う。
知らない人が読んだらよくわからないかもしれない、でもこの経験を書かずにはいられなかった。
▼写真は真鶴海岸でのご来光