僕はいつも丸く収めようとして来た。
誰かと誰かが議論している時もそうだし、
違う誰かから自分の考え方とは違う意見を言われた時もだ。
相手が嫌な思いをしないように丸く収めて来た。自分の意見を曲げてもそうなるようにして来た。それも自分では気づかないうちにだ。
それに気づけたのはコーチングを受け始めてからだ。
コーチングを受け始めて
今年の夏から定期的にプロコーチの大下千恵さんのコーチングを受けている。
千恵さんがまだ本格的にコーチとして活動する前に、一度無料のセッションを受けた事があり、もしきちんとコーチングを受けるならこの人にお願いしたいと考えていた。
セッションを受けている時は常に問いを投げかけられる。それは自分の内面と向き合う、いわゆるBeing(在り方)を問われる時間だ。
問いにさらされることで自分一人では気づけない内面にある考え方、いや考え方のくせを発見する感じだ。
それは、たしかに以前から自分の中にあったはずなのに、まるで初めて出会ったように感じる。もう慣れてしまったけれど不思議な感覚だ。
自分の内面と向き合う
知らないうちに染み付いている考え方のくせというのは厄介だ。良いとか悪いとかではなく単なるくせなのだが厄介だ。
意識せず自動的にそう考えているのだ。
僕の考え方のうちの一つが「丸く収める」だった。
これは一番最初のセッションの時に千恵さんから言われていたのだが、セッションの時に話したことが度々日常生活の中で思い出されるのだ。
セッション中には気づかなかったことや、違う気づきを得られる事が多々ある。
コーチングを受け考え方のくせに気付いてから、ある時何故そのくせがついたかに思い至った。
それは親の考え方のくせが自分に大きく影響を与えているという事だった。
朝一プログとしては長くなってしまったので続きはまた今度。
大下千恵さんのブログ