要介護5の74歳5年ぶりにパソコンを再開する

ウチの父親は来年2月で75歳。

5年前の6月に脳梗塞で倒れ、ほぼ寝たきりの生活を送っている。

脳の可塑化と10-0介護(じゅうぜろかいご)

ブログにも書いたけど僕は今でこそ農家をしているが、前職は介護士で17年現場で働いていた。

仕事柄(前職柄?)なるべく父には自分で出来ることはやってもらいたいと考えをもっている。

それは病気で機能を失ってしまっても、その機能を使い続けることで、病前と同じようになんとか使えるようになるからだ。

ある家庭では脳梗塞を患った夫に、電話がかかってくると子機を渡して話しをしてもらうようにしていたところ、片言だった会話がしっかりできるようになったそうだ。

こういう現象を介護による脳の可塑化(かそか)という。

脳梗塞などで細胞が一度壊れてしまうと脳の細胞は元には戻らない。しかし失ってしまった機能を使おうとし続けることで今までと違うルートで脳のシナプスがつながり、機能が戻ることがあるのだ。

また10−0介護(じゅうぜろかいご)なんて呼び方もあるが、介護を提供する側が力を出しすぎてしまうと、今ある機能さえどんどん落ちていってしまう。介護者が行為を待つのが面倒だったり、キレイにできるからなどと手を出しすぎてはいけない。相手の力を引き出すことが大切なのだ。

ということを知識で知っている僕なのだが、それが全然活かせていないというか、現状の父の介護とつながっていなかったのだ。

パソコン操作の思い込み

父は倒れるまで簡単なパソコンの操作はしていた。ワードで文章を作るくらいは朝飯前だった。

倒れた直後は麻痺が多くあり両手ともにうまく動かなかった。だからキーボードが操作できるとは思わなかったし、実際に試してやってもらったがうまく操作できすそれ以来ダメだと思い込んでいた。(タブレットで試したこともある)

しかし今はリハビリや母の献身的な介護のおかげで右手の握力は20kgもある。徐々に力がついてきた状況を目の当たりに見知っていたが、そのこととパソコンの操作ができるかもしれないということが結びつかなったのだ。

アイディア

そんな時ある人との会話から「!」がついた。

「お父さんブログ書いて発信できたらいいですね」と簡単にいったその言葉で僕の頭にその映像が流れた。

すぐに試すべきだと思い父に話したところ満面の笑みで同意。

人前で話すことが多かった人だから自分のことを書くのもいいのかもしれない。

翌々日には使い古したパソコンと折りたたみの机(僕が使っていた)を用意した。はたしてエディタを開くと父はゆっくりとだがキーボードを叩き出したのだ。右手の人差し指だけでだったが。

嬉しかった。そしてなぜここに気がつかなかったか少し悔しかった。

父本人もやる気になり毎日日記をつけていこうということになった。

離床する機会も増えるし、頭も使うしいいリハビリになるだろうと、家族全員で喜んでいる。

僕の中ではここである意味仕事は終わって、日記を書くことを継続できるサポートをしていけばいいと考えていた。

しかし、、、

次回以降につづく
続き書きました